日本統治時代(1895-1945)の台湾と美術
- Akira Art Room
- 3月15日
- 読了時間: 3分
当ギャラリーを当初よりサポートしてもらっている台湾の大切な母娘からのご縁で日本統治時代(1895-1945)に活躍した日本人作家の作品を台湾へ納める機会をいただきました。この時代の数多いる日本人作家のうち、台湾のコレクターの元へ旅立ったのは田辺至(1886- 1968)の「リラの花」という作品です。

田辺至, 「リラの花」油絵 73.0x60.6cm, 1930
これまで扱ってこなかった「物故作家」
これまで、現在生きている作家(living artists)の作品を扱ってきました。なぜなら、作品の背景にある想いを直接聞くことができ、その声とともに作品をお届けしたいと思っていたからです。物故作家の作品は作者と対話することができません。しかし、今回初めてこの世界に触れてみて、生きている作家の作品にはフレッシュな「今」があり、物故作家の作品には奥深い「歴史」があることに気づきました。
日本統治時代の台湾と美術
1895年から1945年まで、台湾は日本統治下にありました。その時代、多くの日本人画家が台湾を訪れ、現地で制作を行い、美術教育にも関わりました。その代表的人物が市川欽一郎です。同時に、台湾の若い画家たちが日本へ渡り、絵を学びました。田辺至は画家として活動するだけでなく、美術教育者としても多くの学生と交流があり、その中には日本に学びに来た陳澄波(後に「台湾画壇のモダニズムの父」と呼ばれ、台湾近代美術界を代表する画家)を指導したことでも有名な画家です。
田辺至は台湾で直接活動した画家ではありません。しかし、当時、日本へ留学していた多くの台湾人画家たちに大きな影響を与えたのでした。教科書にはあまり登場しない歴史ですが、政治家でも外交官でもなく、一人の画家として台湾へ渡り、もしくは台湾からの留学生を受け入れ、文化の種を蒔いた人たちによる交流があったのでした。

今回、台湾へ渡った、田辺至の「リラの花」は1930年の作品です。この頃はちょうど、台湾美術展が始まり、台湾の若い画家たちが日本へ留学し、日本洋画の影響が台湾へ広がっていった、そんな時代でした。その時代に描かれた絵が96年後に台湾へ渡る。それは単なる所有の移行に留まらず、時代の精神を未来へと受け渡し、作品が新たな時代と環境のもとで再び生き始めるきっかけとなります。歴史を知るということはそこには宝が隠されていて、その歴史の引き出しを開けるとまだ見ぬ未来が展開していくようでちょっとワクワクしませんか。
ところで昨年より何かと話題の関税ですが、手描きの絵画(オリジナル作品)については無税であることはご存じでしょうか?(消費税はかかります。)
ユネスコの「フローレンス協定」にて芸術品や文化財の輸入を促進することで、自国の文化向上や美術市場の活性化に繋がればという施策から無税になっています。つまりアートは単なる装飾ではなく、文化や記憶を運ぶものなのです。



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